2017年6月にPSTアカデミーのプログラムを終えた4期生。
卒業した後は日本へ帰国する生徒、スペインに残ってさらに指導者として磨きをかけようとする生徒がいます。
今回から数回に渡って、4期生でPSTアカデミー史上初の女子のアカデミー生である松村利子さんのインタビューをお届けします。
松村さんは、大学卒業後にバルセロナへ来てPSTアカデミーのプログラムで学び現地の女子のチームの指導者をしています。今回は日本との比較や、日本女子サッカーについて、スペインの女子サッカーの事情などをお話していただきました。
自らの成長を求め高校は聖和学園へ
今日はよろしくお願いします。まずは、日本ではどのような形でサッカーに関わっていたのか教えてください
松村:三重県出身で育ちは大阪です。中学は京都、高校は仙台へ行き、その後大学は京都へ戻ってきました。
結構色々なところへ行っていますね。
松村:そうですね、本当にサッカーが中心で中学も受験したのですがサッカー部がある中高一貫の学校でした。そこは初心者が多く物足りなくなって、大阪のクラブチームに通っていました。高校は仙台の聖和学園に進学し、大学は特にサッカーで選んだ訳ではなく勉強を中心にしようと思い同志社大に入って京都へ戻りました。
聖和学園は全国でも有名な学校ですよね。どうでした?
松村:大阪のクラブチームにいた時に同期もすごい上手い選手も多く、中島依美(INAC神戸)とか上の年代も阪口夢穂さん(日テレ・ベレーザ)がいてすごいチームでした。私はU15では試合に出れていたのですが、U18では試合に出れなかったんです。
それで悔しい思いをしながらどうやったら上手くなるんだろう?と考えて、やはり試合に出る選手はどんどん使われていくので試合の経験を積めるし、同じ練習をしていたら試合に出ている選手の方がどんどん上手くなる訳で。
どうやったら上手くなるのだろうと思った時に自分は身長も高くなくスピードがあるわけではないので、テクニックや判断をもっと伸ばしていきたいと思った時に選択肢に入ったのが聖和学園でした。それで、練習会に参加した時にすごく監督が理論派ということもあり、それがしっくりきたので「こういうのを求めていた」と思いました。
中学の頃は感覚でプレーしていて、「今のは良かったぞ!」とか「今のは違う」と言われるんですけど、なぜ良くて、なぜダメなのかがわからなかったんです。でも、聖和にいくと感覚ではなく「なぜ?」の部分がしっかりと学べると思って選びました。
高校時代はどのようにして過ごしたのですか?
松村:主にテクニックです(笑)
理論派だけど戦術ではない?
戦術まではいかないです。スペインでいう戦術というのとは少し違います。テクニック重視です。男子はすごいドリブルなんですが、女子はパスサッカーです。聖和学園は身体能力が高い子はあまり来ていなくて、全体的に背が低くて技術でやっていこうという子が集まります。
速くて強くてというタイプは常盤木学園のようなチームにいくので、聖和はどちらかというと育てるというか、技術でというチームです。
全国でも常連ですよね。
松村:高校時代は全国3位になりました。
聖和学園から卒業したらどのような進路に進むのですか?
松村:専門学校や大学に行く選手もいますし、なでしこリーグでプレーしている選手もいたりします。
そういえば、なでしこジャパンには佐々木繭選手(ベガルタ仙台レディース)がいます
松村:そうですね、私の2学年下でうまかったです。もともとベレーザにいて上に上がれるのにそこから聖和学園に来て、「なんで来たの?」って思ってました(笑)
1年生から上手かったんですか?
松村:そうですね。一年生から目立ってましたね。すぐ試合にも出てましたし。
佐々木選手は以前、スペインに短期研修で来ていましたよ。指導者研修なんですけどスペインサッカーに興味があるということでバルセロナにきていました。
松村:聖和学園はみんなスペインに興味はあるかもしれません。バルサのようなパスサッカーに憧れてという人は多いかと思います。チームもそのような方向でやりたいという感じです。私が1年生のときの3年生は北上優さんがアトレティコ・マドリーでプレーしていました。
では、聖和のプレースタイルはバルサですか?システムも433?
松村:いえ、システムは4231で少し違うんですけどね。
自由に見えて規律が存在するサッカー
そうなんですね、ではどのような練習をしていたのですか?
松村:練習は最初は決まってて、リフティングから入っていきます。それも変わっているのが、音に合わせてリフティングしたりするんです。メトロノームみたいな「ピ、ピ、ピ」というような音に合わせてリフティングします。初めは歩いて行って帰って、次は走って行って帰って、あとはリフティングの技のようなものを音に合わせてやったりして。
そのメニューの目的は?
松村:ボールコントロールの技術を磨いたりします。聖和の考え方としては、受け手に応えられる、出し手が受け手に応えられる技術を磨くというものがあります。そのために、どのような状況でも要求に応えられる技術を身につけるというものです。
周りに合わせられるコーディネーションのためのということですか?
松村:そうですね。例えば2人組でのリフティングもやりますし、あとは判断というものを大事にして周りを見る、周りを見てギリギリまで見て最後に味方の動きに合わせるとか、そのような技術を磨くことです。あとは結構型にはまったものもあります。シュートでも3人の動きとかで2人目が入って来てスルーしたりとか、そういうパターン練習もやりました。
形を覚えて試合で自由に判断して使うという感じですね。割と自由度は高かったのでは?
松村:いや、自由な様で意外とタブーなこともありました。
やってはいけないことですか
松村:部の雰囲気としては自由なサッカーというものがありますが、その中でもいくつかやってはいけないことがありました。うちはあまり蹴らないサッカーなので蹴るとどちらかというと怒られます。
でも個人的には蹴ることはダメだとは思ってなくて、意味のあるサイドチェンジをするためにロングフィードをした時とかは何も言われなかったのでそれは良いと思いますが、仲間から言われる時がありました。
監督は自分の意図が分かってくれてるのであまり言わないですが、こちらが遠目からのシュートを何度か打ち始めると、仲間から「つなげよ」みたいなことを言われることがありました。
そういうときは監督の介入はありますか?「今のはいいんだ」とか
松村:でも自分が「今のは打った方がいい」と言うと、監督からは何も言われません。見守っている感じでした
監督の指示というよりもどちらかというとチーム内の文化が出来上がっていって、それに従ってプレーしているという感じですね
松村:でも、監督もかなり言います。ほんとにスペイン人みたいに試合中ずっと指示を出しています。細かい指示をずっと出していますよ(笑)日本人では珍しいかもしれませんよね。
当時はどんな風に感じていたのですか?
松村:監督の言っていたことは確かに正しかったのですが、私たち選手の戦術レベルがそこまで追いついていなかったというのはありますね。細かい判断とかができるんですが大きな視点で見る時の戦術レベルがそこに追いついていないなという感じはずっと思っていました。
3年間だけですもんね。やはりU15までにそういうことをやってきていないということが原因なのでしょうか
松村:練習でそういうことが落としこめたら、例えばこういうときは「こういうことが正しい」というのをもっとやったほうが良かったなと思います。高校時代にテクニックはかなり伸びたとは思うのですが、戦術面ももっと伸ばせたとは思います。女子でも男子でもそうですが、子供の頃から戦術のことをやってきてない分、対応することができていないと思います。
女子サッカーは当時はまだまだ整備されていなかったですね
松村:私は高校の時でやっと、「なでしこあるもんね」と言われるようになりました。
ワールドカップ優勝したのはいつでしたっけ?
松村:私が大学の時でした。私が小学生の時とかはまだ認知されておらず、サッカーをしている女子はあまりいませんでした。「女の子サッカーするんだ!?」という時代でしたからね。それが中学、高校とかになるとテレビ露出する様になると認知される様になり、その後大学時代にフィーバーした感じでした。データではワールトカップで優勝したあとの1年間で1万人の競技人口の増加が見られたそうです。
それだけあのインパクトは強かったですね
次回へ続く