PSTアカデミーのOBは日本へ帰国して各地で活躍しています。
今回の記事は、その中から現在福島県のいわきFCで活躍している矢沢彰悟さんのインタビューを2回に分けてお届けします。
バルセロナへ留学した事で見事にサッカープロコーチとしてのキャリアアップを果たした矢沢さんですが、現役は高校時代に選手を引退しその後サッカーからは距離をおいていたところ大学在学中にひょんな事から指導者としてサッカーの世界に戻ります。その後、一度は社会人になりバイトでサッカーコーチを続けていたところから、様々な人の繋がりを通してスペイン行きを決断しました。
第一回では、バルセロナにくるキッカケや留学してからサッカーに対する考え方の変化を語ってもらっています。
一度は離れたサッカーに指導者として戻り、その後スペインへ
バルセロナには何年いましたか?
矢沢:そうですね。結局、四年半にちょっと届かないくらいです。一昔前の 人達からすると標準的な留学期間ですね。ここ最近の人からすると少し長いかな。
日本にいた時の経歴を教えてください。
矢沢:高校まで選手としてプレーしていました。そして17歳の時に監督や先輩と喧嘩したりと、くだらないような事をしてサッカーを辞めてそこから一年半くらいは全くサッカーに関わっていませんでした。21歳のときかな?学生の頃ですね、ひょんなことから、かつてのコーチや監督と再会して、横浜Fマリノスで「手伝ってみない?」と誘われて現場に戻りました。でも、アシスタントだったんで全くサッカーの指導者をやって行くなんて考えていませんでした。なので、普通に大学を卒業して社会人として別の仕事をやっていて、でその中でバルサキャンプと関わる機会があってその中で「バイトですけどサッカーの指導者をやっているんだ」と通訳を通してバルサの指導者と話していたら、「お前指導をやってるのか?興味があればスペインに来ないか?」みたいな話になりました。それで坪井さんのことを紹介されました。
え、そうなんですか?誰でしょう?
矢沢:マルクだったかな?直接の知り合いではないらしいのですが「日本人でプログラムをやっている人が居る」と言っていて、それで紹介してもらいました。
その人はスペインに住んでいて仕事で日本のバルサキャンプに来ていたのですか?
矢沢:はい、スペインに住んでいます。 でも、その時はぶっちゃけ若い頃はなんか海外に憧れてて、海外にただ住んでみたい程度の気持ちで最初は話を聞いてみようかなと連絡しました。それで、色々考えてるうちにバイトで指導者もやってるし現場は楽しかったし別にサッカーも1回は嫌いになりましたけど、現場にいるうちに楽しいなと思い出したので行こうかなと、最初のきっかけはその程度です。スペインに行くと決めた時に指導者でやっていこうと覚悟を決めました。それまでは指導者でやって行く覚悟はありませんでした。
変化や志を持って海外に行くことは多いと思います
矢沢:最初は無かったですね。正直なところ、最初はただこっちでサッカーを勉強して行くうちに自分が現役時代にやってきた事や指導者としてやってきた事が全否定された感覚になって、俺がやってきた事って本当に何も無かったんだなって、高校時代本当に無駄な3年間過ごしたなっていうのがあって、変えたいとかそんな強い意志があった訳ではないけど、これはやっぱり良くなかった事が多かったなと全てを全否定しようとは思いませんが、変えなきゃいけない事は沢山あるなと思ってました。自分は一時的ですけどサッカーをした事で不幸になってしまったのでそういう人間は増やしたくないなとは思いましたね。
留学の説明会で話を聞いた時は何を考えていたのですか?
矢沢:もうその時には行こうと思っていました 。
話を聞いてイメージは明確になりましたか?矢沢:そうですね。その時には「いつまでに手続きして、お金はいくら必要で」とか、正直スペインの事は何も知らなかったので説明会でようやくイメージが出来たって感じですね。もう行くという気持ちは決めてましたけど、具体的に何をすればいいのか全くわからない状態だったので。
そうですか。説明会に参加することで具体的に何をするのかが分かったんですね。では、その後スペインに到着して最初はどんな感じでしたか?
矢沢:最初はもう分からないことだらけでしたね、何が分からないのかすら分からない状態だったので、サッカーの指導者をやってましたけど、練習や試合を見て何が日本と違うのかとかは感覚でしか分からなくて言葉にする力が無かったので、たまに先輩の日本人指導者の方とかと試合を観に行って話を聞いていても良くわかんないなと正直思ってました。 最初はもうなんとかついて行く、こなして行くというかただ必死でしたね。
時間がある時に自らのサッカーを整理
PSTアカデミーのプログラムのスペインサッカー理論の授業やコーチングスクールで知識を重ねて行くうちに言葉に出来なかっ 段々と出来るようになりましたか
矢沢:コーチングスクールを卒業した時にはなんとなくは出来るようになりましたね。それまではこなすことで精一杯でなんとか卒業しようとそれだけで精一杯だったので自分の中でまとめようとか、解釈しようとか、そんな余裕はありませんでしたね。卒業して来シーズンのチームを決めて日本に帰った時に時間があったので、その間に色々と要約しましたね。資料もまとめましたし、各言葉に自分なりの定義づけをしたりしてそこで初めて自分のものに出来たなと。
では今の状態が100だとしたら、コーチングスクールが終わった時はどのくらいでした?
矢沢:50くらいですかね。
ちなみにスペインに来たばかりの時は?
矢沢:0ですね。
でも日本のサッカーの事もあるから1くらいはあったのではないでしょうか?
矢沢:まあ、そういう意味では0では無いですね、確かに。でも限りなく0に近いかな。コーチングスクールを卒業した時は100だと思って矢沢:最初もう分からないことだらけでしたね、何が分からないのかすら分からない状態だったので、サッカーの指導者をやってましたけど、練習や試合を見て何が日本と違うのかとかは感覚でしか分からなくて言葉にする力が無かったので、たまに先輩の日本人指導者の方とかと試合を観に行って話を聞いていても良くわかんないなと正直思ってました。
最初はもうなんとかついて行く、こなして行くというかただ必死でしたね。ましたけど全然でしたね。今も100だと思っていてもまたこの先日本に帰ってきた頃の自分は50だったなと思うと思います。
では次は別の視点から留学についてお聞かせください。アカデミー3期生は人数も多かったですが、仲間との付き合いだったりグループで良かったなと思うことは何かありますか?
矢沢:自分たちの代(3期生)って面白い代だと思うんですよ。年齢もバルセロナに来た経緯もバラバラで逆に多くのことを学べて。カズさんみたいに大人でしかも経営目線で見れる人もいて、ジュンとかゲンキみたいに高卒で来てこれから何でも吸収する人もいれば、社会人経験はあるけどそれなりに大人みたいな自分もいれば、社会人経験は無いけどそれなりに大人なカズオ、サトシ、ユウジも居てすごい丁度いいバランスでしたね。
いい仲間は大事ですね。仮に一人で来ていたらどうなっていたと思いますか?
矢沢:それはおそらく人によると思います。ジュンとかみたいにスペイン人と仲良くやれる人なら問題なくやれると思います。ただ壁を破るのに時間がかかるタイプはちょっと苦しむかな。孤独になってしまって、性格によるかなと。コーチングスクールで日本人同士助け合えたことはあるんですけど、その反面スペイン人との関わりが少なくなったかなとも思います。
ジュンなんかはスペイン人と仲良くしていたのでその繋がりでコルネジャに行きましたし、逆に今受講しているレベル3(日本のS級相当)で日本人は自分一人なんでスペイン人との繋がりがすごくあって普通にチームに誘われたりもしますし、「日本に帰らないならチームに来て欲しいのに」みたいなこと言われたりもしました 。
第2回に続く
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